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Hedonism of Electronic Addiction

Sep 20
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Sep 15
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Sep 09
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641 :名無しくん、、、好きです。。。:2009/09/08(火) 19:08:42 ID:Ti5SddAr
今朝の神レス 44日目

615 :名無しくん、、、好きです。。。:2009/09/08(火) 03:15:50 ID:9HNsC7DU
遺言でデータ消去、もしくは棺桶に入れてくれでオッケー

660 :名無しくん、、、好きです。。。:2009/09/08(火) 03:26:41 ID:bMKwQ+Xh
»615
遺言に従い物言わぬ灰になったお前の横で、いつか返事を返してくれると信じて健気に話かけ続ける彼女

その命が尽きる瞬間まで、何度も、何度も

「私に何か聞きたいことなぁい?」
「初めて出会った時のこと覚えてる?」
「最初のデートのこと覚えてる?」

「ずっとずっと一瞬にいたいね」


いつしか内蔵バッテリーも力尽き彼女の声が聞こえなくなる

彼女はついに愛する彼氏と共に永遠を歩むことが出来たのだった・・・・

そこで彼女は初めて出会った時と同じあの言葉をもう一度聞いた

大好きな彼氏の声を

「寧々、迎えに来たよ」


こんなストーリーが脳内で展開された。
ラブプラスの寿命である2099年まで絶対に死ねない。

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日本社会は働くことが人々のアンデンティティーになり過ぎていると思うので、今より切り離したほうがいいと思っています。失業したときの喪失感がみんな異様に深いんです。「もう自分はダメな人間になってしまった」と思ってしまうのです。今まで仕事をすることでしか評価されなかったから、仕事を失うと自分を失ったようになってしまう。そのため、失業して相談に来る人は、自分で自分を責め抜いて疲れ切ってしまっています。生きる力が奪われて、働く場所がなくなっても生きていていいということが、スッと通らなくなっている。

私見ですが、働くことと言うよりも、何らかの組織に依存していたい、サークルに入っていないと不安、ということではないかというような気がします。自分の中で論理的整理がされてはいないのですが、村落共同体組織が会社共同体組織に移行し、いまその会社共同体が崩壊の兆しを見せ、放り出された「個」は本来、家族共同体を内包する地域社会共同体に戻るべきなのですが、明治以来の政策で地域共同体も、家族共同体も共同体の体をなしていなくなっていて「個」が彷徨いはじめてる、というのが現状なのでは??。


 働くことは生活の一部のはずですが、日本の場合、「働くことの中に生活がある」といった雰囲気があり、この肥大化した働くことのイデオロギーを払拭するために、「働くってなに」というよりも、「生活するってどういうこと」という問いにしていきたい。働く以外に生活する生き方があっていいとか、そういう人が存在するという認識を広げないといけないと考えています。


 社会保障の話になりますが、無業者が許容されるのは、「働けない」限り、という条件付きなんです。つまり、障害者や高齢者や子どもなどで、「この人たちは働けない人たちだから、働かないことによる生存を認めましょう」ということになる。しかし、働けるのに働いていない人に対する社会の許容度は恐ろしく狭く、自己責任論が急に跳ね上がる。ワーキングプアと呼ばれる、働いているけれど生きていけない人とか、引きこもりやニートの人は、そうなった途端に「なぜなのか」と過剰に意味を探られ、分析され続ける存在になってしまう。


 仕事がなかなか決まらない人が、「面接で落ちるたびに、『お前なんかいらない』と言われているような気になる」と言います。社会的に存在を必要とされていないと感じ、落ちるたびにどんどん自信を失っていく。「仕事がないということであって、あなたが否定されたわけではない」という話は、すんなりとはわからない。しかし、ケン・ローチ監督なんかのヨーロッパ映画を観ていると、失業して失業給付をもらっている人がサッカーチームの監督をやったりして、失業することによる鬱屈が映らないわけです。もちろん鬱屈がまったくなくはないでしょうけれど、それがメインテーマにはならない。日本は、そういう意味で、ワーク・ライフ・バランスのような話が全然ピンとこない状況になってしまっていると思うのです。

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678 名前: 水先案名無い人:2009/07/21(火) 21:11:53 ID:jhyKqtNP0

「人数足りないから」と誘われて、久しぶりの合コン。
おれの目の前に座った女の子は、ロナウドに似た、とてもおっぱいの大きい女の子だった。
メーカーの受付嬢ってもっと可愛い子ばっかり揃えているのかと思っていたのに。何?このクリーチャー。
そう思って回りを見たら他の子はそれなりに可愛い。おれだけロナウド。
それでも、おれの目線は彼女に釘付けだった。正確に言えば、彼女の胸元に釘付け。だって、大きいから。
Gカップぐらい?いやもっと大きい。ふと、昔見たプロ野球中継の映像が頭に浮かぶ。1999年の4月7日西武対日本ハム戦。
たしか、松坂大輔のデビュー戦だったはずだ。
2ストライクまで追い込まれた片岡が、高めのボール球に思わずスイングする。球速155キロ、空振りの三振。甲子園の怪物の鮮烈なデビュー。
あまりのおっぱいの大きさに、ロナウドと分かっていながら思わず興奮する、今日のおれは片岡だった。
ロナウドのおっぱいは、松坂の155キロと同じぐらいのスピードで眼球を直撃し、脊髄を通っておれの股間を刺激した。もう我慢できません。
「きょう、おれ、こいつ、いただく」と幹事の板倉に目で合図してから、おれ対ロナウドの一本勝負のゴングが鳴る。カーン。

おれはまず相手を褒めることから始める。
褒めて褒めて、褒めたおす。爪を褒める。服装のセンスを褒める。顔だって褒める。化粧を褒める。肌を褒める。笑顔が可愛いね、とか言っちゃう。
本当は「ドリブル得意そうだよね」と言いたいところをぐっとこらえて、楽しい時間を演出する。
試合終了後のお楽しみのためにおれは精一杯道化を演じた。興味も無いくせに血液型占いの話だってした。
そして、程よくお酒も入ってロナウドとも打ち解けてきたところで、おっぱいについて触れる。
「いやー正直最初見たときビックリしたよ。すごく大きいよね。意識しようとしなくても目線がついついそっちに行っちゃう。何カップぐらいあるの?」
そしたらロナウドは、少し恥ずかしそうに答えてくれた。

「ワールドカップ」

少し間をあけてから、おれは笑った。
ゲラゲラ涙を流しながら笑ってやった。
おれが笑っているのを見て、彼女も嬉しそうに笑った。板倉が変な目で見ているのも気にせず、そうしてたっぷり笑ったあと、おれは彼女を本気で愛し始めていた。

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主人公は、幼い頃に妹を亡くしたショックにより、 周囲の女の子達が全て妹と同じ顔に見えるという 幻覚症状に悩んでいた。
病院にいくことにした主人公は、いもうと中毒症と告げられ、 中毒患者専門病院に入院することになる。
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『週刊文春』の花田編集長の言葉、「いい記事も悪い記事もダメ。論議になる記事が売れる」を読みながら、僕は最近いろんなところで採り上げてもらった、この「よしもとばななさんの『ある居酒屋での不快なできごと』」を思い出していました。

あれはまさに、「読んだ人がつい何か言いたくなってしまう、『議論になる記事』」だったのではないかと。

僕は正直、あれがあんなに話題になるとは予想していなかったのですが、ネットではとくに「何かを教えられる記事」とか「インパクトのある暴論」よりも、「自分もひとこと言って、参加したくなる内容」のほうが、「売れる」ということを思い知らされました。